協力隊インタビュー
| INTERVIEW |
元復興支援員
佐々木裕郷さん
地域と共にある暮らしの原点は、あの1年にあった

陸前高田市に移 住し、地域の暮らしや情報発信に深く関わってきた佐々木裕郷(ささきゆうと)さん。
現在は地域電力会社「陸前高田しみんエネルギー株式会社」で総務などの業務を担いながら、生活の拠点を市内の矢作地区に構え、地域行事にも積極的に参加しています。
彼の陸前高田との出会いは、2014年。当時は大学1年生でした。
中学生のときに東京で東日本大震災の報道を目の当たりにし、「いつか自分の目で見てみたい」と心に抱いた想いが、NPO法人SETの先輩に誘われたことをきっかけに、現実の一歩となりました。
「最初はただ先輩についていった という感覚でした。
でも実際に高田の地を訪れて、感じた空気や出会った人々に強く心を動かされたんです」

休学して選んだ「陸前高田での1年間」
大学生活を送る中で、佐々木さんは次第に「このまま学生のままでいいのか」という思いを抱くようになります。
そして2017年、彼は大学を休学し、陸前高田で立ち上がったばかりのNPO法人高田暮舎で復興支援員として、1年間限定で働くことを決意します。
「着任当初はとにかくバタバタでした。
公営住宅にもすぐには入れず、SETのシェアハウスからのスタートでした。
高田暮らし(移住定住ポータルサイト)のオープン準備や空き家バンクの制度構築など、未知のことばかり。
でも、手探りの中で動きながらも形にしていく過程は、今思えばすごく貴重でした」
彼が担当したのは、陸前高田市にはまだなかった移住定住に関する情報をまとめたポータルサイト「高田暮らし」の立ち上げ。
その設計にあたり、近隣の宮城県気仙沼市に学び、法律の専門家と協議しながら、移住者向けの受け入れ体制の礎ともいえるものを築きました。
思ったように進まず、当初想定よりは遅れたもののポータルサイトは完成し、全国からの問い合わせにも応えるようになっていきました。
現在でもこのサイトはアクセス数が高く、稼働率が高い状態を維持しており、佐々木さんの活躍は今でも生きています。
「移住に踏み出す不安を少 しでも減らせるような仕組みを残したかった。
僕の1年の挑戦が、その後の受け入れの幅を広げる一助になったのなら嬉しいです」

現場にもっと深く触れたい──
農業との出会い
復興支援員としての1年を終えた後も、佐々木 さんは再び休学し、次は産直はまなすに勤務。
地元の人々とより近い距離で関わる中で、地域の“本当の空気”を肌で感じる時間となったと語ります。
「同年代の地元の若者や農家さんたちと交流する中で、ようやく地域に“いる”という感覚が得られたんです。
年配の方に草履の編み方を教えてもらったり、喧嘩してるおばちゃんのやりとりに笑ったり。
ネットには載っていない“知恵”にふれることが楽しくて仕方なかったです」
佐々木さんは、地域へどう参加するかという視点にも重点をおいています。
地域住民との関係性、お互いの暮らしにも深く関わる考え方です。
草刈りや水路整備のほか、集落の伝統行事にも参加しました。
なかでも印象深いのが、矢作町二又地区の「白糸の滝」上流に佇む閑董院(かんとういん)での御開帳行事です。
江戸時代の高僧・宥健(ゆうけん)法印を祀るこのお堂は、明治期に地元の気仙大工たちによって再建され、市の有形文化財にも指定されています。
佐々木さんも、集落総出で行われるこの行事の準備に携わりました。
「地域の人と一緒に動くからこそ、暮らしている実感が持てる。
こうした営みに関われるのが、地方で暮らす一番の醍醐味だと思います。
山の中なので、水道も通っていないし、インフラも自分たちで整えています。
その分、地域の人と一緒に草を刈ったり、川を整備したり。
『共益費の代わりに汗をかく』みたいな暮らしですね」

「理想」だけでは続かない。
だからこそ、地に足のついた関わり
地域おこし協力隊をはじめ、陸前高田で新たな暮らしを始めたい人に向けて、佐々木さんはこう語ります。
「“綺麗な自然の中でのんびり暮らしたい”っていう理想だけで来ると、現実とのギャップで苦しくなるかもしれません。
自然があるってことは虫もいるし、静かってことはお店も少ない。
それでも、そういう『両面』をちゃんと受け入れて楽しめる人が、この土地に馴染めるんじゃないかなと思います」
一時期、理想と現実のギャップに悩んだこともあったという佐々木さん。
しかし「不便さ」や「手間」を面白いと思えるようになってから、地域の中での居場所が自然とできていったと語ります。

戻ってこられる場所を、ずっと残しておきたい
現在、長年付き合ってきたパートナーも陸前高田に移住。
今後のライフステージの変化を見据えながらも、佐々木さんはこのまちでの暮らしを続けていきたいと考えています。
「仮に今の仕事を変えるとしても、”ここでの暮らし”を手放すつもりはありません。
何かあったときに帰ってこられる場所として、家やつながりを残しておきたい。
そういう“関わり続ける”という選択肢があってもいいと思っています」
震災から10年以上の時が経ち、制度も人も、まちの景色も少しずつ変わってきました。
それでも、佐々木さんのように誰かが踏み出すための土台をつくってきた存在がいるからこそ、今、新たに 陸前高田を目指す人が安心して歩き出せるのかもしれません。